2024年のコラム
今月のひと言
当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。
2024年 | 12月号 「日本一周夫婦旅」New! |
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11月号 「青梅線開通130周年」 | |
10月号 「ネット詐欺」 | |
9月号 「夏野菜」 | |
8月号 「花火大会」 | |
7月号 「国境なき医師団」 | |
6月号 「OB会」 | |
5月号 「クイーン エリザベス号」 | |
4月号 「機関車バス『青春号』」 | |
3月号 「アーユルヴェーダ」 | |
2月号 「飲み友達」 | |
1月号 「出生数」 | |
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12月号 「日本一周夫婦旅」New!
つい先月、クラブツーリズム社の好企画『日本一周夫婦旅』に参加しました。カーフェリーを乗り継いで北海道から九州までを6泊7日でめぐる旅。フェリー乗船は初日東京駅集合、仙台港から苫小牧港へ太平洋フェリー。2日目小樽港から新潟港へは新日本海フェリー。3日目は陸路で石川県片山津温泉
「佳水郷」泊。4日目は泉大津港から新門司港まで阪九フェリーで瀬戸内航路。5日目陸路、宗像神社・太宰府天満宮を参拝して別府温泉泊。6日目は原尻の滝・
高千穂峡などに寄って志布志港へ。さんふらわあフェリーで大阪南港まで最後の航海。翌朝7日目下船、新大阪駅から帰京解散と言った具合です。
要するに夜間は
フェリーで移動の4隻4泊に旅館2泊で北海道から九州縦断のぐるり一周旅。7月から11月までの催行で、今回は15組の夫婦が参加、定年・年金組夫婦多数で結構
ハードでしたが「皆さん元気で無事に回れ、ありがとうございました」とは添乗員の弁。
さてフェリーは数十年昔に、東京から苫小牧まで車を載せたり、青函連絡船や佐渡汽船も利用したりしましたが、当時より設備も充実、格段の進歩でした。 今回は主要4社のフェリーに乗船しましたが、どれも全長ほぼ200m幅27m、14,000から16,000トン、乗客600から700名と大型。車も300台前後積載可。展望大浴場付き・エントランスロビーも3フロア吹き抜けです。太平洋フェリー「いしかり」にはシアターもあって人気。10万トンを越す豪華客船と比べて乗客が 少ない分レストランが空いていて騒がしくないこと。ビュッフェの刺身など料理がうまいことが挙げられます。船室はどれも上位グレードのツインでした。日本海は あいにくの風と波で揺れ、家人は酔ってしまい朝食抜きとつらい思いをさせてしまいました。冬場はもっとひどくなるそうです。一方、瀬戸内海航行の「ひびき」は 明石海峡大橋など本四架橋をくぐり抜けて滑るような航海、スイートルームにしましたが、船室はクイーンエリザベス号の海側船室より広く快適でした。
帰路、南港から新大阪へ向かう途中で大阪万博会場脇を通りました。例の木製円形大回廊はほぼ完成、全体は7割方完成とのことです。「佳水郷」
旅館は4月に将棋の叡王戦の会場となり藤井聡太叡王と伊藤匠7段対局時のモニュメントや色紙などが飾られていました。神話の里、高千穂峡は観光客多数、パワースポット真名井の滝は逆光に映えて幻想的でしたが、貸しボートはなくもがなでしょうか。他いろいろ観光しましたがまずはご報告まで。
皆さん、良いお正月をお迎えください!
11月号 「青梅線開通130周年」
今年は『青梅線開通130周年』にあたる。沿線の博物館や資料館では記念の企画展を開催中だ。明治27年(1894年)11月19日に当時の青梅鉄道株式会社により立川・青梅間 18.5㎞が開通した。途中駅は拝島・福生・羽村・小作と西寄り。翌年には石灰石採掘場のある日向和田まで延伸された。もともと石灰石や砂利などの貨物輸送線として誕生し、当初は軽便鉄道の軌間762mmであったため立川駅で貨物の積み替えをした後、軌間1067mmの甲武鉄道(現在の中央線)で都心に輸送。結局、明治41年(1908年)に青梅線も1067mmに改軌されて東京への直通運転が可能となり、新駅の中神駅も開業した。
以後、大正期に宮ノ平・二俣尾駅の開業と1200V直流電化が行われ、昭和4年(1929年)軍畑・沢井・御嶽駅が開業して青梅線は御嶽まで延び、奥多摩を観光資源として旅客輸送も 増加していった。更に河辺・東青梅・西立川・昭和前(後の昭島駅)・東中神・牛浜駅が順次開業、会社は青梅電気鉄道と改名、電化も現在と同じ1500Vとなった。戦前は沿線に昭和飛行機など 航空産業や軍事施設が増え、昭和18年輸送力増強のため立川中神間の複線化が完了。昭和19年4月に国有化された。更に7月には御嶽~氷川(現在の奥多摩駅)間10kmが開通、途中駅の 川井・古里・鳩ノ巣・白丸駅が開業して終戦に。こうして戦中に全25駅・37.2kmの骨子がすでに完成していたのである。
戦後は東青梅までの複線化(1962年)・初代駅舎の改築・ホームの延長などが行われ、1987年JR東日本に編入。東京駅直通の青梅快速・ホリデイ特急・青梅ライナーなど通勤・観光電車の運行も始まった。1998年には永年にわたり活躍した貨物列車の廃止。以降は新型車両も投入され、現在中央線快速の直通電車はE233系であるが最新のE235系導入が順次進められ、明年には2階建てグリーン車が連結されるとの話もある。
さて、以上は沿線の青梅市郷土博物館(青梅駅舎100年展も開催中)・羽村市郷土博物館(羽村駅小作駅舎の常設展示あり)・福生市郷土資料室(砂利輸送用支線資料、図書館併 設)・昭島市郷土資料室(アキシマエンシス国際交流教養文化棟内)・立川歴史民俗資料館(甲武鉄道の常設展示あり)の5施設すべての企画展を見学してのまとめであるが、この一人見学ツアーでご当地の文化財や歴史にも触れることができた。それぞれ企画展は11月末ころまで開催中、講演会も予定されている。関心のある向きは訪問あれ!
10月号 「ネット詐欺」
『ネット詐欺』に遭ってクレジットカードの番号を2回も変更しました。クレジットカードと言えば30年ほど前、飲み会帰りに電車の中でショルダーバッグから財布をすられ、 自宅のあった武蔵増戸駅の改札口で盗難に気づき、現金・複数のクレジットカード・通勤定期券・運転免許証をそっくり無くして、いっぺんに酔いが覚めました。事情を話すと幸い駅員は納得してくれ、 住所氏名などを書き残して翌朝立川駅からの運賃を支払えば良いことになりました。その足で近くの交番に盗難届を出しに行きましたが、こちらはハナから、届けても無駄と言う態度で期待薄。 帰宅した晩からクレジットカードの停止と再発行、定期券の買い直し、運転免許証の再交付手続きなど面倒なことになりました。事件翌日、一緒に飲んで電車が途中まで一緒だった同僚の話では 「そう言えば、ラフな格好をした2人の男が両脇にいた」とのことで、納得しましたが警察には届けずじまい。幸いその後何の被害もなく、おそらく現金のみを抜き取って他は処分したのでしょう。
さて、今回の事件はカードそのものの盗難でなく、番号と共に裏面のセキュリティコードや暗証番号が盗まれて悪用される情報犯罪。現物が無くなったのと違い、被害が知らぬ 間に広がることが特徴。事の起こりは今年1月に注文したことの無いグリム童話などアマゾンのKindle版(電子書籍)短編集が筆者の注文履歴に載っていたこと。幸い価格は0円 でしたが次は有料物品となれば被害甚大、即このVISAカードを停止して新規に発行してもらいました。ところが今度は5月にアマゾンからと思しきEメールで、この新カードで家庭用品15,000円の注文があり、 送付先の知らない女性の住所と名前が通知されました。身に覚えがなければここにとリンク先に誘導され、求めに応じてカード番号とセキュリティコードを入力したところ、とたんに「詐欺サイトです。注意!」とPCに大文字表示。セキュリティアプリの警告でした。このカードも即停止。こうした訳で金銭被害は防げたもののカード番号の変更が続き、支払先に送金したり変更手続きをしたりで、この頃やっと滞納トラブルが解消しました。
こうなると現金払いや店頭購入、銀行口座振替などのローテクは手間が掛かっても安全
です。ハイテクによる効率優先・利便性向上の裏で巧妙化するNET詐欺や遠隔犯罪が増えています。
皆さんも怪しいリンクはクリックしないなど充分ご注意ください。
9月号 「夏野菜」
そろそろ『夏野菜』のシーズンも終わりです。例年5月初めごろ苗を購入していたトマト・
キュウリ・ナスを今年は種から育てることにしました。苗は品種や販売店の違いで1本80~300円、多くても各8本ほど植えるだけでした。種なら同じ予算で数倍から葉物なら100倍もの苗を育成できます。その分手間暇が掛かり、何より失敗の可能性もあるのですが…。3月半ばにトマト・ナス、5月初めにキュウリを播種。ポットに各3粒、1週間前後で発芽し途中間引いて1本立ちに、無事20cmほどの苗になりました。トマトは中玉(レッド・オーレ)18本、小玉(キャロル・スター)16本、ナス(千両2号)10本が育ちそれぞれ5月連休に定植。
キュウリ(千羽)16本は5月25日マルチを敷いて定植でした。
トマトは2.1m支柱に結束、わき芽を欠いて主幹一本仕立て、定植後はぐんぐん育ち7月初めに十数個を初収穫。小玉は一房に20個ほど、中玉には16個ほどがたわわに成って順に真っ赤に色着きます。以後連日4・50個の収穫でした。雨よけなしですが最盛期でも割れはわずか、両種ともしっかり歯ごたえと甘さを堪能しました。トマトは我が日の出町の特産品でもあります。つい8月24日に畑終いでしたが中小併せて100個ほどが冷凍保存されています。
あっ!言い忘れましたがこのトマトからさし芽で育てた中小玉たち8本が今最盛期で、もてあましぎみです。
一方キュウリはネットを張り、6月22日に葉裏に隠れていたもの3本を初収穫したのを皮切りに連日8~10本の収穫、多い日は20本以上も採れて筆者は毎昼晩ごとに1本をスティックにして味噌で食べていました。実は1本が300g近くなる多収穫品種のようでスーパーのものより倍も大きいのですが味はしっかり、種も小さくてこちらも当たりでした。子供や近所に分けても余り、家人は大なべで「きゅうちゃん漬け」を作ったほどです。要は両方とも豊作と言うより作りすぎでした。ナスは遅い収穫でポチポチ。失敗かと思いましたがここにきてスイッチが入り、秋ナスを期待しています。
その他枝豆はビールのつまみで楽しみ、マクワウリ(なりくら・なり駒)も自家種で結構甘くメロン味、バターナッツかぼちゃ・宿儺(すくな)かぼちゃと言った珍しい品種もうまく育って、酷暑の夏としては上出来でした。あとはさつま芋(紅あずま・安納いも)と里芋
(土垂)の収穫まちです。
*註:2021年10月「冬野菜」を参照ください。
8月号 「花火大会」
梅雨が明け夏休みが始まると『花火大会』の季節です。つい先月、たまたま点けたTVで「ぎおん柏崎海の大花火大会」の生中継をほぼ通しで見ました。これがなかなかで打ち上げ花火は 当然として、斜め水平方向に打ち出す横広のディスプレイはいかだからの打ち上げならではの見ごたえ。横一列100発同時打ち上げなども楽しめました。江戸時代から続く隅田川大会・全国花火競技会の大曲大会・2日間に及ぶ長岡大会などの有名花火大会は知っていましたが柏崎は知りませんでした。最もこうした5,000~20,000発を打ちあげる花火大会は 全県いたるところにあって、3大花火大会と言えば上の有名大会2つにおらが在所の花火大会、例えば熱海・琵琶湖・佐世保などを加えれば3大大会は無数にあるのです。
打ち上げ花火は小さいもので3号(直径3寸≒9㎝)から。大きいものは10号(1尺玉30cm)、2・30号とあり同口径の筒から発射されます。主な花火の着火高と大輪の直径は、 3号120m60m・5号190m170m・10号330m320m・30号600m550mと見た目より大きく、近くで見るとおなかに響く大音響と共に首がいたくなって長くはもちません。4・500mから1㎞ほど 離れた場所が最適でしょうか。
花火で思い出すのは小学生時代、昭和20年代末頃の隅田川花火大会。当時我が家は江東区の荒川河口近くにあって、川がすぐそば。夏休み最高の1日はこうです。朝から近所の
子供たちと連れ立って川に行き、引き潮の間にシジミ採りと釣りえさのゴカイ堀り、昼からは上げ潮になってゴカイでハゼ釣り、満潮前後は川に入って泳いで遊び、シジミの味噌汁とハゼの天ぷらで晩御飯を済ませたら
家族揃って浴衣に着替え、再び川に。これから隅田川の花火見物です。大勢が土手に座り、遠く4・5km離れた花火に玉屋~・鍵屋~の大歓声。当時は遮るものなく花火が丸ごと見えたのです。東京タワーが出来た
昭和33年頃から障害となるビルが増え、荒川も遊泳禁止となってしまいました。
遠くの花火なら飛行機から見る花火がおすすめ。離着陸時の低空で見える街明かりと花火も悪くはありませんが、巡航高度でも20時から22時頃あちこちで次々に上がる花火が見られます。
なにせ直径100mから500mですから上空からも大輪や色とりどりに上がるスターマインが見つかります。この時期、週末金土の夜間フライトを利用するなら是非窓際席を予約ください。
7月号 「国境なき医師団」
国際的な医療団体に『国境なき医師団』がある。紛争地や避難地での医療・救命活動を無償で行っている多国籍医療集団といえる。ノーベル平和賞など受賞歴も多い。現在はパレスチナガザ地区でも活動中だが、エスカレートする戦闘やあろうことか病院を標的にした爆撃などで苦戦中、と言うより医療崩壊で助けられたはずの命が失われる状態。ウクライナ戦争同様、一刻も早く停戦と和平を実現し無益な殺戮に終止符が打たれること願っている。
さて、かく言う筆者はこの団体のマンスリーサポーターの一人である。と言っても10年来毎月5千円の寄付を行っているに過ぎないが…。それでも毎月140人分の清潔な水を賄えるとのこと。定期的に活動報告、財務状況などのレポートも届くが、スポット寄付の振込用紙なども添付されている。こうした慈善団体は財閥や有志の出資で始まっても、基本は趣旨に賛同し・応援してくれる個人や企業団体からの寄付に財源の多くを依存している。筆者が支援を始めたきっかけは、定年退職した叔父の一人が現役時代から例の国際児童基金「ユニセフ」のサポーターであると知ったことだった。失礼ながら悠々自適、余裕ある生活とは見えなかったが世界の子供たちの救済に毎月手を貸していたことは驚きで、筆者の場合は母校、町内会、お寺、神社などへの寄付には応じてきた方だが、福祉や慈善団体への定期寄付という発想はなかった。遅ればせながらこちらもと言うことで選んだのが「国境なき医師団」。他にもこうした慈善・支援団体は、学生支援の「あしなが育英会」、「日本赤十字社」、良心の囚人支援「アムネスティ」など多数あり、小規模異色では宮城まり子の[ねむの木学園]、ロンドン駐在外交官夫人、三菱財閥末裔澤田美喜の混血孤児施設「エリザベス・サンダース・ホーム」などもあり、寄付先にはこと欠かない。次回の新札発行にはこの二人の女性も検討願いたい。
余談になるが、筆者は大井川鉄道のSLや飛騨の合掌作り保存など観光資源保護に取り組む日本ナショナルトラストの会員も20年以上続けて、記念表彰とバッジの寄贈を受けたが
こちらは年会費わずか5千円。この頃はゴルフの予定が雨や仲間の故障などでキャンセルになると、足代とプレイ費で2万円ほど浮くのを利用して、医師団やトラストに浮いた分をスポット寄付している。子供への財産相続よりこうした使い方の方が世のため人のためになりそうだと思っている。
6月号 「OB会」
久々の『OB会』に出席しました。筆者に限らず、誰もが歳を重ねると学校・企業・団体・サークルなど相当数のOB会に所属することになります。都市部と違って、ここ日の出町のように代々続く土地に住み、文字通り土着で家を継いだ長子たちは子供時代からの一生付き合いで、昔は同じ小中学校のOBたちが近所に大勢いたはず。実際、家人の父親はそうした一人。大学時代と戦地暮らしの期間を除いて生涯この地で暮らし、子育てを過ぎたあたりから小中学校の同窓会で集まり、後半は夫婦参加。最後は2組の夫婦となってしまい、2012年96歳で父が亡くなりOB会は終焉したとのことです。
さて、表記のOB会は「電算スタメン会」と称し、母体は東芝小向工場に電子計算機事業部が新設され、専用の青梅工場に移転するまでの1963年(昭和38年)から昭和42年末の事業部初期に在籍していた者たちが中心で筆者も当時のメンバー。会発足は1995年、電子計算機事業部スターティングメンバーの会です。京浜や多摩・青梅在住者がメインで一時300名近い会員と出席60~80名のOB会でしたがコロナ禍で6年ぶり、この5月昼、新橋の居酒屋で再開した第11回は会員108名、出席21名で最年長は88歳、最年少77歳でした。平均年齢は毎年上がり会員は年々減るばかりです。現在までの物故会員89名、内2018年第10回以降は28名となり懐かしい名前、お世話になった先輩多数でした。もちろん、出席者はそこそこ元気。お互いの出席と健康を喜び会い、近況報告や物故者・欠席者の情報や思い出話と話は尽きません。
当日配布された会員名簿には,出欠回答メールで求められた簡単な近況報告が記載されて暮らしぶりや健康状態などが、ある程度判り好評でした。幹事さん(元ワープロ事業部長83歳Hさん)ありがとう。実はこの表が興味深く、回答者78名の半数が結構元気で海外旅行・畑仕事・地域活動やボランティア・ゴルフ・コーラスや写真・句会などで活躍中。一方健康や体調不良の報告は20名ほど、足腰不具合で階段・外出に支障と毎日快適とは言えない会員も増えました。懸案はこの会をいつまで続けるかでしたが、幹事と事務局は今後も従来通りの隔年開催を可能な限り続けたいと意気盛ん。あと10年、筆者91歳。存命で都心への外出ができたら上出来ですが…。
*註:2016年11月号「東芝青梅事業所」を参照ください。
5月号 「クイーン エリザベス号」
英国女王の名を冠した客船『クイーン エリザベス号』(90,900トン・全長294m)に乗船してきました。昔から船旅ファンなら一度は乗りたい船の筆頭格でしたが、現在の3代目が誕生した2010年頃から10万トンを超えるいわゆる豪華客船が次々と誕生し選択肢が広がりました。現在の最大の客船は25万トン・365mです。 本船は2018年に改装され、英国調の内装調度やもてなしを売りに昨年から東京や横浜を起点に日本各地を回るクルーズに活躍していています。こうした日本拠点のいわば出稼ぎ船は他にも 「ダイヤモンドプリンセス」・「MSCベリッシマ」などが就航中、両船とも10万トンを越します。
さて、QE号。家人の沖縄旅行と筆者の船旅希望の折衷案で、昨年クラブツーリズム社に申し込みました。今年になって乗船案内が来て手続き完了。スーツケースは事前に船室に送ることができて便利。航空機の場合は持ち主と一緒の移動で重量制限もあり厄介です。
こうして4月7日東京国際クルーズターミナルから出港。航程は8・9日台湾に向けてのクルーズ、10日花蓮・11日基隆・12日石垣島・13日那覇に寄港、14・15日東京に向け復路航海、16日朝帰港の予定でしたが、出航間近の3日に花蓮市で大地震が発生し、急遽予定変更。基隆に2日間の停泊となりました。寄港地は朝入港、日中観光、夜出港とどのクルージングもほぼ同じパターンですが、初日の基隆は連泊のおかげで帰船の門限真夜中0時と夜遊び放題でした。
台湾への航海は黒潮に逆らって南下のせいか予想外のゆれです。船上ではレストラン・ショッピング・シアター・アフタヌーンティー・イベント・各デッキ探索などで過ごしました。さすが女王の船だけあって、派手さはないものの、アールデコ調と言われるシックなデザインと色調、子供の乗客はほとんどいません。吹き抜けのホールを飾る初代QE号の巨大な寄木細工・カジノルームのビッグベンの大時計・エリザベス2世の肖像画前などがカメラポイント、筆者たちもガライヴニング(フォーマルデイ)にはここで記念撮影でした。乗客定員2081名で今回は日本人が994名と半数、英国463名、米国138名以下オーストラリア、カナダなどが主要客でしたが、サービスの主体は欧米人向けで、シアターのショーでは出演者の冗談に笑うのは英国人、真ん中に陣取った大多数の日本人はシーン。食事も質より量で舌の肥えた日本人には今一つでした。多少不満の残るクルージングでしたが寄港地は再建中の首里城見学などどこも楽しめました。折りを見て報告したいと思います。
*註:2016年8月号「地中海クルーズ」を参照ください。
4月号 「機関車バス『青春号』」
日の出町には機関車バス『青春号』と言うトレーラーバスがあります。蒸気機関車を模した牽引車が客車を牽引するバスです。今ではわが国で1台のみというトレーラーバスで、もともとは町営の生涯青春の湯「つるつる温泉」とJR武蔵五日市駅を結ぶ西東京バスの路線バスでしたが昨年3月で老朽化のため営業運転を終了しました。平成8年(1996年)11月の温泉開業当時から評判のバスで温泉もそうですがバス目当ての乗客や家族連れも楽しませてきました。今回のバスはその2代目と言うことで平成19年(2007年)から終了まで587,500㎞を走破しました。現在は絶版となりましたがミニカーの「トミカ」からロングサイズのシリーズとして青春号が発売されました。
片道8㎞ほど、平井川に沿ったカーブの多い道を20分ほどで運行。通常のバスより長い分トレーラー形式の方が曲がりやすかったと思います。最もトレーラーの運転には牽引免許が必要で、コンテナ車などのトレラートラックはもちろんキャンピングカーやボートをけん引する場合も同様です。更に乗客を乗せる客車をけん引する場合は牽引2種免許が必要とありますが、この免許を取得してもトレーラーバスは国内には1台のみで運転するチャンスはまずないと言えます。最もトラックやキャンピングカーなどはOKですから使い道がないわけではありません。それより国内に1台と言うことは運転免許試験場にはバスがないと言うことになりますから2種の運転試験はどうするのでしょう。トラックなど他の車種で代用するのか外国の試験場を借りるのでしょうか。
話がそれましたがこの青春号、廃業後は売りに出され、町の有志グループに買い取られて整備されました。中心は卒塔婆製造所社長と自動車整備工場の社長。後者は商売柄自動車好きで、本業の傍ら赤いフェラーリに焼き芋釜の赤いトレーラーを引いて「スーパーカーやきいも」と名付けてイベント会場で売ったり、昼休みに役場前の広場に現れたりで町おこしに一役買っている御仁。トレーラーには縁があったのでしょう。TVでは園児を載せて老人ホームを訪問した様子が紹介されました。また最近では3月16日に開通した青梅市と日の出町を結ぶ「梅ヶ谷トンネル」1.3kmの開通記念マルシェや30日の桜祭り会場でも展示され、老いてなお活躍中の青春号です。これからも末永くお元気で!
3月号 「アーユルヴェーダ」
インドの伝統的医療に『アーユルヴェーダ』がある。この1月の10日から3週間にわたり、長女・次女それに家人が、女3人連れでインド北部、ヨガの聖地リシケシュにこのアーユルヴェーダの施術を受けに出かけた。ヨガとアーユルヴェーダはインド哲学最古の聖典である
「ヴェーダ」から派生した健康と幸福を目指す思想で共に根本部分は同じである。ヨガは主として精神修行から、アーユルヴェーダは医学の面からアプローチするものと言える。
リシケシュは羽田から空路香港経由でデリーへ、そこから車で250km北にあり、乗り継ぎ待ち時間を含めてほぼ24時間の行程。娘たちはすでに3・4回同地のヨガ修行に参加しているが家人には初めてのインド。それも観光旅行ではなく健康・美容目的の泊まり込みの受診と結構ハード。周りからも良く行く気になったと感心された。最も滞在先の
「Mamgain Ayurveda Clinic Rishikesh 」の経営者夫婦は二人ともドクターで、娘たちのヨガの先生と旧知の仲。たびたび来日して診断や簡単な施術をしたりで、家人も筆者も何度か会っている。先方も是非来いとのことで、航空券など必要な予約は次女担当で出発。クリニック付属のコンドミニアム滞在で、食事は部屋付きのキッチンで自前。日本の食材や調味料持参と近所のスーパー調達で和風にアレンジ。現地の食事の基本はベジタリアン。ドクターの住まいも同じ建屋でお互いの料理交換も楽しかったとか。
パンチャカルマと呼ばれる体内の毒素を出す浄化療法が毎日の日課。セラピストによる全身のオイルマッサージ、ハーブを入れて蒸したハーブボールと言う熱い袋で体中をたたく療法。練った小麦粉をひも状にしておでこ・目・耳・鼻等を囲み、そこにカウンセリングで体調や体質にあった様々なハーブオイルを選んで、吊るしたポットから垂らすシロダーラ療法などを受診。聞くとつらい修行のようだが実は快適だとか。圧巻はこうして全身の毒素を腸に集めて排出させるためのオイルの浣腸で文字通り体内の洗浄療法だ。こうして3人は療法プログラムを終え、インドの生活・風俗・国民性などを垣間見て最終日はデリーのホテル泊でショッピングを楽しみ無事帰国となった次第。3週間滞在のアーユルヴェーダで若返った感じの家人とすっきり顔の娘たち。有意義で貴重な体験旅行だったに違いない。
*註:2011年1月号「ヨガ」を参照ください。
2月号 「飲み友達」
『飲み友達』が年々減って行きます。ゴルフ仲間も同様ですが、交友関係は大方が同世代中心ですから、我々の世代、80歳前後はやはり人生の峠でしょうか。この年代から、ガン・脳梗塞、膝・腰・肩の痛み、諸内臓の疾患と数え切れないほどの不調や故障が急激に増加。勢い、飲み会やゴルフに限らず外出・集会も昔のようにはいかず、「年は争えない」ことを実感するようになります。筆者の場合、高血圧・痛風持ち・肩ひじ膝で内科と整形外科の定期的な通院をしていますが、幸い、今のところは酒・ゴルフと運転はほぼ誘いを断ることなく完走している状態です。
さて、こうした中、最近若い飲み友達が増えました。と言っても、我が愚息です。この息子、親が言うには口幅ったいのですが、愚息というにはなかなかよくできた男で、家族思い。3人の姉からも好かれて独身の一人暮らしを謳歌しています。住まいは拙宅から徒歩30分足らずで、月に数回徒歩か自転車でふらっと寄ります。と言っても必ず何らかの食材とアルコール類などを持参。料理は得意、煮る・揚げる・炒める…なんでもござれ。餃子・春巻きは皮も自前で作り、ピザ・パスタ・タコス・パエリア・トルティーヤなどエスニック料理もお任せです。家に来ると台所に直行、下ごしらえをした食材を用意したりでものの20分ほどでつまみや料理を作ります。さて料理ができて、乾杯。ビール・日本酒は差しつ差々れつ。その後はお好みでウイスキー・ジン・ラム・紹興酒などをてんでにちびちび。アルコールが回ると話も弾み、読書・酒・肴・買い物・アマゾン・ユーチュブの話など、雑多な話題で夜更けまでと言った次第。
ところで家人と長女次女の3人が1月10日から31日までの3週間インド北部リシケシにある、アーユルヴェーダクリニックに滞在し、施術を受けに行きました。この間筆者も独身生活。息子と二人で我々も温泉につかりゆっくり飲もうと言うことになって、浜名湖畔の舘山寺・愛宕神社前の老舗旅館「山水館欣龍」を予約、28・29日でドライブがてらの一泊旅行に行ってきました。日曜泊でお客はまばら、露天風呂は月と湖を見ながら二人で独占状態。浜松市楽器博物館・浜松城を見学。城脇のランドマーク「ホテルコンコルド浜松」の18階のレストランでうな重を奮発し帰路へ。往路は新東名・帰路は東名利用、二人交互運転600㎞走行の親子旅でした。
1月号 「出生数」
昨2023年のわが国の『出生数』は推計で72万6千人程度になる見込みで、2022年に初めて記録した80万人割れをあっさり更新する状況だ。戦後の第1次ベビーブームでは250 ~260万人、この時生まれた赤ちゃんが親となった第2次ベビーブームでは200万人越えの出生数を数えたが以降減少の一途をたどり、2016年に100万人を割ってからは減少が加速。当然ながら、一人の女性が生む子供の数(合計特殊出生率)も、人口維持に必要な2人以上に遠く及ばず2022年には1.26となってこちらも過去最低となってしまった。人口が減って栄えた国は有史以来ないらしいが、少子高齢化が一段と進み、将来社会機能の低下や生活水準の維持が困難になりかねない。異次元少子化対策とこども家庭庁はどうなっているのだろうか…。
さて、初孫が2歳になった我が家では昨年7月2人目の孫も誕生し、彼女等の母親は出生数2.0でノルマ達成となった。一方、筆者の娘3人の平均出生数は今のところ0.67で言
い訳は難しいが、家人の出生数は4.0であるから勘弁してもらいたい。2番孫の名前は乙葉(おとは)。性別が判明したときに産院で「また女の子ですよ。」と気の毒そうに言われたそうで、「私は3女ですから。」との返事に、「あら!それじゃあ、いいわね。」だったとのこと。今では2人生めばまずまず、男女一人ずつ生むのが理想と言うこととか。出生数が伸びない要因の一つだ。
この12月に家族4人で筆者宅に滞在、これが乙葉との初対面。夫君は3日間で仕事復帰、母子は2週間の滞在であった。よく笑うぽっちゃり系で周りを和やかにしてくれる。チャイルドシートが2台必要だったが2台目はシートベルト固定式でなく、リアシートに隠された2か所のフックに固定するだけの簡単脱着。筆者の車にもすでにこうしたフックがあったのは知らなかったぁ! ベビーカーにはトレーラーを繋げて二人乗車ができ、おむつも交換簡単の使い捨て、ゴミ出し日に通常のポリ袋におむつと書けば収集してくれて、これは近い将来筆者もお世話にるかも…。おんぶ抱っこひもも多用途のハーネス式になって、我々が経験した50年前の子育て環境とは格段の進歩だ。にもかかわらず子供を産まなくなった女性たち。こうした進歩と女性の社会進出を阻むジェンダー格差大国日本。保守・保身に明け暮れ、変化を嫌う男性社会を改善することが急務なのだ。