2023年のコラム

   

今月のひと言

当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。

    
2023年 12月号 「記念旅行」
11月号 「バス旅行」
10月号 「秋祭り」
9月号 「時計」
8月号 「新聞と週刊誌」
7月号 「長寿を祝う会」
6月号 「ドクターストップ」
5月号 「金婚式」
4月号 「リサイクル本」
3月号 「ひな祭り」
2月号 「賀状アルバム」
1月号 「薬師寺」
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12月号 「記念旅行」

 今年は筆者夫婦の結婚50周年にあたり、奮発して豪華『記念旅行』となりました。8月になってJTB旅物語のパンフレットで「加賀屋でくつろぐ至福の北陸」と銘打ったツアー を見つけ、申し込んでみることに。上越新幹線のグランクラスで行き、福井県あわら温泉と石川県和倉温泉のご存じ「加賀屋」に泊まるという二泊三日の行程。11/6(月)出発で申 し込むと現在参加は我々で7名、催行は10名以上とのことでしたが出発10日ほど前に集合案内が送付されてほっ!

 9:50東京駅集合。総勢18名とグランクラスの定員一杯で「かがやき509号」12号車は貸し切り状態。横3人掛け、専任アテンダント付き、軽食、つまみ・アルコール自由と 国際線のビジネスクラス並みの待遇でした。金沢で観光バスに乗り換えて兼六園へ。雪つり作業の最中で外国人観光客も多数。その後北陸道で芦原温泉へ、ご当地トップクラスの 宿「グランディア芳泉」到着。一行は露天風呂付き特別室泊で、ラウンジやヒノキ大浴場は一般客とは別エリア。冷蔵庫やラウンジのアルコール類は自由と呑ん平には飲みすぎ注意。畑の中に沸き出た温泉とのことで表は旅館街でも裏は畑でした。

 翌日は越前の戦国大名朝倉氏の一乗谷遺跡見学。これが火山で埋もれたポンペイ遺跡の小型日本版。姉川の戦い以来の宿敵織田信長に一乗谷川沿いの領地が焼き払われ全滅。家屋2000棟・住民1万人を擁して103年間栄えた朝倉家は天正元年1573年、消滅したのです。この跡地、戦前から存在が知られていましたが昭和40年ころから調査・発掘・復元が 始まった由。今では立派な博物館と200mにわたって復原された武家屋敷・商家・民家が並びなかなかの見ごたえ。近くにある永平寺と共におすすめです。九谷焼工房見学後、バスはなぎさハイウエーを通る予定でしたが2日続きの強風で進入禁止。この風とタラバガニ漁解禁日が重なり、史上初の出漁中止となったとのことです。2泊目が加賀屋。昔、近くの 旅館に泊まり、ここのショッピングモールのような土産店に来たことがあります。例の名物女将の出迎えで、今回は雪月花と呼ばれる特選階宿泊。15階の角部屋で2方に七尾湾と 町が一望。あわら温泉同様、心のこもったおもてなしを標榜し、山海の珍味も仲居さんも申し分なしで大満足でした。ただしこちらはアルコールが有料。

 帰路は富山湾に沿って弁慶ゆかりの雨晴海岸を通り富山市中へ。皆さん、駅ビルのマルシェで買い足しでしたが、筆者は駅周辺を走る新旧私電の写真撮りに専念。ここは路面電車の成功例として注目されています。はくたか570号グリーン車で東京着。立川で遅い夕食をとり帰宅しました。

11月号 「バス旅行」

 しばらくぶりで『バス旅行』に参加しました。自治会主催の研修旅行と言う名目でしたが宴会付き親睦旅行と言っていいでしょう。前回は当社の社員旅行で2014年秋の草津でし た。バス旅行と言えば一泊二日が定番で、3泊も4泊もする企画は少ないようです。

 実は同じ年の12月初旬実施でクラブツーリズムが企画した「関東3大ホテルをめぐるバスの旅」と言った趣旨の募集ありました。日光金谷ホテル・軽井沢万平ホテル・箱根富士 屋ホテルに泊まる三泊四日の旅行です。それぞれ著名人ゆかりの部屋、貴賓室など館内ツアー付きで10万円以下と言う格安プラン。料理も評判の有名老舗旅館でしたから夫婦参加 で申し込みました。紅葉時期と年末年始に挟まれたシーズンオフの集客策が格安理由です。多摩地区周辺の駅から参加者を集めて、各ホテルに順に宿泊、周辺観光よりホテルを楽し むといった趣向で、期待していました。ところが、期日10日ほど前に参加者が18名に届かず中止という連絡が…。自前では手間暇費用面でとても無理、残念な結果でした。クラブツーリズムさん、再度の企画を待っています。

 さて、この10月末土日実施の自治会旅行は箱根伊豆。西東京観光のサロンバスにドライバー・ベテランガイド嬢・あきる野ツーリストの添乗員とフルスタッフ。近頃の小旅行は 運転手一人3役で回るツアーも多いのです。参加は奥様方5名を含む33名、ほぼ顔見知りですが、筆者は転居10年で初参加でした。朝からビールとつまみが配られ、酒・ウイスキー・焼酎も自由。忍野八海・御殿場のアウトレットを回り、伊豆スカイラインで左右に相模湾・駿河湾を望んで伊東市へ降り、ホテルラヴィエ川良着。

 温泉の後、舞台付き大広間で宴会、ほどなく土地のコンパニオンも参加して、カラオケにデュエットとにぎやかに、まるでバブル期の社員旅行でした。翌日は二日酔いの反省者も含めて西伊豆へ渡り、三津シーパラダイスのイルカショウ・ミカン狩り・めんたいパーク・沼津IC手前の竜宮海鮮市場で浜焼き食べ放題の遅い昼食。サザエ・帆立・牡蠣・エビ・いかをお腹いっぱいに詰め込んで帰路。車中マスクという参加者もいてコロナ禍の残りと、まだ紅葉・温泉シーズンには多少早いせいか、観光地や高速道路では観光バスはまばらでした。それでも中央道は車びっしりで渋滞にはまり、4時間かけての帰着となりました。

10月号 「秋祭り」

 コロナ禍が下火となって、各地で『秋祭り』が4年ぶりに復活している。お祭り大国である我が国では四季を通じて大きな祭りが見られる。冬は札幌雪祭りに秩父夜祭り。春は 神輿であふれる神田祭・からくり山車で賑わう高山祭、夏の京都祇園祭に博多祇園山笠・青森ねぶた。秋は岸和田だんじり・長崎くんち。

 これらはホンの一例で有名祭りは数え切れないほどあるが、豊作への感謝や先祖を祭って生まれた「鎮守の森の村まつり」から続く各市町村の秋祭りがやっぱり一番身近な存在 だ。地域の文化や伝統を感じることができ、何より参加者のほとんどが顔見知りで町の親睦行事として欠かせない。ここ日の出町でも地域の神社と周辺の氏子・自治会が一体とな って神輿・山車・お囃子と神楽舞で町内を巡行するお祭りがあちこちで催される。筆者の町内会は「平井祭り」と言い、我が町内の八幡神社例大祭と隣の春日神社の例大祭が同日 合同で行われる。当方は神輿、お囃子神楽の山車とも各2台の参加。春日神社は山車3台、流派の違う祭囃子の競演が見どころ。祭りは2日間にわたり、前日の宵宮と翌日の本宮の 巡行は各神社の範疇で行われるが、夜は宿通りと言われるメインストリートに合流してにぎやかに巡行し、途中5台になった山車のお囃子合戦は圧巻で祭りの名物になっている。 氏子の筆者は神社と町内の御仮屋にご祝儀持参での参加、家人はこのご祝儀のはなかけの書き手として参加している。

 ところで、現在わが国には世界遺産として文化遺産や自然遺産が25件登録されているが、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台の年中行事」としても上に述べた有名祭りを含む31 件が登録済である。更に昨2022年には全国41件の民俗芸能が同無形文化財「風流踊り」として登録された。この中の一件に上に紹介した平井祭りで披露される春日神社の「鳳凰 の舞」が含まれていて、TVでも紹介されている。雨乞いや悪霊退治の踊りで太鼓を中心に円形になった若者が鳳凰を冠して勇壮に踊るもの。41件中東京は他にも「小河内の鹿踊 り」・「新島の大踊り」の計3件認定と西はずれと離島が大健闘。大都会を一歩離れると郷土色豊かな、世界に誇れる文化遺産があったのである。

9月号 「時計」

 『時計』が各部屋にあります。それも掛け時計に置時計。玄関・洗面所・トイレ・台所などにもあって、すべて電池が必要ですから、2年ほどもつと言っても毎月どれかの電池を 交換しています。更に記念品やお返しなどの置物にも時計付きがあり、離れの工房では昭和20年代精工舎製振り子時計が今でも動いていますが、昔はこうしたボンボン時計があれ ば家中で時刻(正時)が分かり、それで十分でした。拙宅では出かけるとき以外は時間を気にする必要はありません。どう見ても時計過剰状態です。とは言っても、思い出したよ うに時計の秒針を合わせて回り、その後もずれを気にしたりしています。この点電波時計は便利で、すでに何台かはこれですが…。

 一方、腕時計は竜頭の手巻き機械式の時代が長く続きましたが、自動巻きも出現し、軸受に使うルビーやサファイアの石数を競うようになりました。手元に筆者の父親の遺品、 昭和30年代の腕時計があります。自動巻Seikomatic slimは30石でテンビート、当時の最先端のもので、今でも立派に動きます。その後、例のクオーツ式。いわば半導体1石で 正確無比、量産効果で価格も手ごろ、機械式を駆逐しました。そして、電池交換の面倒を無くしたソーラー発電、更に標準電波受信で時刻合わせも不要と永久時計となり、GPSや スマートウオッチも加わって今日に至ります。筆者もヨットレース用・登山用・ダイバーウオッチとごつい、いわば夏用の腕時計を多く持ちますが、フォーマルなシャツでは袖の中に納まりません。現役時代に使っていた薄手のソーラー電波を探し出しましたが、時刻は正確ながら、カレンダー部分が動かなくなっていました。町の時計店に修理を依頼する と、セイコーの工場持ち込みで32,000円かかるとのこと。当時ヨドバシカメラで25万円ほどしたもので、この夏もう一度、文字通り陽の目を見せるために修理してもらいました。 品があって気に入っています。あっ!ラウンドする前日にゴルフナビ腕時計の充電も欠かせませんが、投資効果はなくスコアアップにはほとんど寄与しません。

 さて、余談ながら一昨年の初孫に続き、同じ岩国の3女が2番孫を出産しました。椛(もみじ)に続く女児で乙葉(おとは)です。長女にはモミジを型抜きした掛け時計を手作り してプレゼントしました。今度は四葉のクローバーにしようかと思います。

8月号 「新聞と週刊誌」

 『新聞と週刊誌』の発行部数が年々減少しています。古くはパソコンが家庭に普及し始め、例のWindow's 95によってニュースサイトやホームページの閲覧ができるようになっ たころから紙媒体からの情報入手が減少し始めて、今日に至ります。わが国で新聞発行部数が最も多かったのは1997年の5,376万部(日本新聞協会)。以後年々下降傾向で、2008 年スマホ発売以降は減少が加速、昨年は3,084万部とこの25年間で4割以上の減少です。週刊誌は更に深刻で10年前の半分程度に縮小し、最古参の週刊朝日がこの5月30日発 売号で廃刊となったことは驚きでした。1922年創刊、今年で101周年、1950年代は最高の150万部発行を誇りましたが近年は10万部以下となっていたようです。そう言えば電車 で新聞や雑誌を読んでいる人はいつの間にか見かけなくなりました。筆者の子供たち世帯である4・50歳代以降は既に新聞購読を必要としていません。

 新聞同様、固定電話の加入も減少中。特に従来型の加入電話(アナログ回線)はNTT契約分では2022年は1,402万件で5年前から700万件の減少。もっとも、光通信などインタ ーネット回線は3,607万件と5年で400万台増とのことです。固定電話の減少はスマホの個人電話が普及し、若年層では世帯共通の電話が不要となったことが主因ですが、高齢者 世帯でも寿命による解約や、電話詐欺を警戒しての解約もあり、加えて人口減少の影響も見え始めました。人口減に関しては昨年1年間でわが国の人口は80万人減と過去最高であ ったとのことですが、人口が減れば当然買い手不足となって衣食住に限らず観光・旅行・趣向品などの需要低迷は必至で、産業界は今までに無かった需要開発が迫られます。

 さて筆者の子供たちは時々、拙宅から新聞紙を持ち帰ります。新聞紙の用途はいろいろで、包装紙・緩衝材などに利用でき、ゴルフ場には新聞紙を丸めた玉が置いてありますが、 靴の湿気や匂いとりに使います。他にも敷いたりかぶせたり、兜を折ったり粘土を作ったり、新聞は読まなくても新聞紙はスマホ家庭にも不可欠なのです。一方、電話は使わなく なればゴミとして処分されますが、プッシュホン以前の黒電話は「なんちゃって!総書記」として使われるとのこと。受話器を横にして頭に載せると北朝鮮の金正恩そっくりの髪型 だと言う訳。縦に載せれば相撲取りでしょうか。

7月号 「長寿を祝う会」

 年寄りじみた話題続きで恐縮だが自治会の『長寿を祝う会』に招待された。75歳以上の後期高齢者が対象であったが、ここ3年間は例のコロナで中止。この間、会を担当する福 祉協力員のご婦人方が安否確認やら様子見に該当者宅を回っていたが、今年は例年に復帰、自治会館で行われた。以前、一度出席したことがあったが、この時は歯の磨き方講習と若 手噺家の落語を聞き、茶菓酒肴も出てほどほどに楽しめたことを覚えている。今年の出し物は自治会有志によるそば打ち実演とそば懐石昼食会とあって出席することに。

 長寿と言っても、後期高齢者と言う年齢区切りと医療制度が出来た平成20年ごろならまだしも、現在では75歳や80歳では平均寿命にも届かない。ちなみに昨年厚生労働省が発 表した令和2年の生命表では男性の平均寿命は81.49歳・女性87.6歳とあり、実にわが国民は世界平均より10歳以上長生きだ。したがって80歳で長寿を祝ってもらった筆者が言 うのもおかしいが、長寿と言うからには90歳以上を対象にしてもよいと思える。ついでだが今や75歳は老人会の入り口にすぎず、後期と言うには若過ぎで、医療制度の区切りはべ つにして、平均寿命越えの85から90歳あたりの年齢を後期高齢者と呼ぶよう提案したい。実際、筆者の母親は97歳まで生き、家人の係累でただ一人残った伯母は100歳で今なお自 適生活を送っている。また、映画やTV・マスコミでなじみだった俳優や作家・芸術家など、昔有名だった人達の訃報が時折報道されるが、「えっ、まだ生きていたの!」が率直な驚き。 おおかたが100歳前後で、みんな長生きしてたんだ~。

 さて、祝う会の出席者はお祝いされる側は女性12人男性8人、内3組は夫婦参加。祝う側はそば打ち名人3名・手伝いの自治会役員・例の世話役福祉協力員など総勢30名ほど。 そば打ちの間は日の出町の開発の歴史や各自治会(町内総数28自治会)の祭りなどのビデオ鑑賞。そばができてからはみんなで談笑・宴会とにぎやかに。日の出町(16,390人)の 75歳以上の住民比率は22.01%、国の比率15.5%・東京都は12.5%・県レベルの最高は秋田県の20.6%である。東京と言っても我が町は東北平均より高齢化率が高く牧歌的雰囲気 と風習が残る町ではあるがその分少子化も進む。長寿より子供の誕生を祝う会の方が必要な気もするが…。

 *註:2014年10月号「高齢者福祉」 2018年5月号「後期高齢者」を参照ください。

6月号 「ドクターストップ」

 実は2月後半から当面、ゴルフは『ドクターストップ』を言い渡されました。近頃は同輩ゴルフ仲間に故障者が多くなり、先延ばしや中止と言ったラウンドが増えまし た。そんな訳で毎年1月の初打ちが今年は2月16日と遅く、事前に練習場に出かけて臨みました。結果は107回で無事完走。翌日は畑仕事と夕刻から飲み会、翌々日はバラの選定 に草取りと日常に戻りましたが、翌朝から左足に異変が…。股関節あたりがしびれ、歩くと突然カクンとひざが折れ、転びそうに。痛みはなくすぐに治りますが間隔はまちまち、 それでも翌日はしびれが残るのみで運転も可能なまでに回復しました。

 一応一安心ですが、家人の勧めで整形外科に見てもらうことに。CTスキャンの結果、頸椎症性神経根症と聞いたことの無い病名。脊柱管狭窄症の兆候も見られるとのことで以前 に患った頸椎ヘルニアとの複合症のようなものでした。当面、ゴルフは禁止、治療には投薬とリハビリが必要とのこと。更にリハビリはワンクール5カ月間、毎週2回が基本で理学療法士も紹介され、 次週から開始と思いのほか大ごとです。

 その夜、仲間にメールやLINEで事の次第を説明。ゴルフ予定はキャンセル、ドクターストップ解除時は知らせると送信。これが体調不良での初めての不参加でした。鬼の霍乱・ お大事に・お早い回復をなど心配・同情の返信に混じり仲間入り歓迎の雰囲気もちらほら。リハビリは肩・腕・首のマッサージと屈伸で徐々に可動域が広がり、日常生活や畑仕事、 何よりクラブの素振りに支障がなくなりました。3月末、医者にそろそろ解禁を打診しましたが色よい返事はもらえず、自己責任で回りますと言ってもじろりとひと睨みするのみ。 結局4月初めに回りました。結果は上々、以後は気にせず5月は3回廻りました。それでもリハビリは当初予定通り7月いっぱい続きます。

 ところで、この頃ゴルフ場の変わり様が気になります。メンバーやゲストに高齢者が増えたせいか、昔は無かったレギュラーとレディスの間に高齢者用のシニヤティが置かれ、 邪魔な樹木や池、バンカーなどが無くなったり小さくなったりで、距離や攻略が容易になり、その上徒歩だったコースが乗用カート化、最近はフェアウエー乗り入れ可能なコースも増えました。 今では紳士のスポーツと言うより年寄りのスポーツと言った塩梅です。おかげでスコアは多少改善しますが、これでいいのでしょうか…。

 *註:2007年6月号「医者好き」を参照ください。

5月号 「金婚式」

 この5月13日、筆者夫婦は『金婚式』を迎えます。式と言っても、何の式典も予定されていませんが、毎年の結婚記念日同様、うまいものを食べに行くか、1・2泊の旅行に出か けるかでは済まない気もします。夫婦の通過点の一つにすぎないなどとクールに構えてみても、やはり半世紀にわたって人生の喜怒哀楽を共有し合った事実と、今後も共に歩む暗 黙の了解を確認し合う節目として無視できない日と言えるでしょう。

 金婚式を迎える夫婦の割合に関する統計はあるのでしょうか。つまり結婚後夫婦であった期間の平均や余命とも言うべき残存期間の統計です。結婚の平均年齢・独身者の割合・ 離婚率などは毎年発表されているようですが、平均夫婦期間は寡聞にして聞いたことがありません。思うに金婚式到達率は3割ほどかと推測します。筆者の両親は39年間、家人の 両親は金婚式を通過し66年間夫婦であり続けました。夫婦の終わりは一方の死か離婚がほとんどですから、生死不明や事実婚、同性婚などを除けば戸籍から容易に集計できるはずで、 人口統計のように夫婦統計も算出できそうです。関係省庁や自治体の皆さん検討ください。

 さて、結婚50周年ですが筆者は30歳での結婚ですから10年単位で振り返るには好都合です。最初の10年は30代。結婚の成否の判定期間を無事通過し娘3人の出産と育児、と 言っても家人頼り。後半は新会社設立で家事協力より仕事優先、37歳時で父の死。若かった家人は懸命に家庭を支えました。次の10年は、40代:戸建て住宅取得と長男誕生、社長 就任、教育は家人任せ。50代:男の働き盛り。接待口実の酒とゴルフ、ヨット共同所有、銀婚式の年は家族ハワイ旅行。60代:姉と愛犬レオンの死、社業30周年後69歳で社長リ タイヤ。70代:家人両親の死に伴い家人実家に転居。母の死。79歳で初孫の誕生。ざっとこんな次第で今日に至ります。

 まだ独身の方でも焦らず、丁度40歳・50歳、場合によっては60歳まで待って結婚すれば10年単位の回想ができて好都合です。最も金婚式まで保証できませんが。いずれにして も金婚式の記念に何か50年に一度のプレゼントを考えなくてはならないようです。


4月号 「リサイクル本」

 図書館の『リサイクル本』を時々もらってきます。3月末の朝日新聞の土曜別刷版「be」に図書館の利用についてのアンケート調査が掲載されていて、使っているかとの問いに、 はい65%いいえ35%とありました。2009年の同じ調査では、はいが71%。利用者数もコロナやスマホ利用の影響もあって減少傾向、図書館離れが続いているとのことです。どん な使い方をしているかの問いでは、ダントツの1位は当然、本・CD・DVDを借ることですが、館内で読む・調べるなどに続いて「放出本をもらう」と言う利用方法がありました。

 この放出本とは、我が日の出町図書館では除籍本と呼び、寄贈本と共に不要になった書籍に「リサイクル本」とスタンプを押して、館入り口の書架に並べられています。もちろ ん無料、だれでも貰えます。自宅から病院・銀行に行く途中にこの図書館があって、時々覗いては何冊かもらって帰ります。児童書・少年少女小説・ノウハウものなどが多く気楽 に読め、そのあとは資源ごみとして文字通りリサイクルもできます。

 ところで、つい先日、新田次郎の「珊瑚」(昭和53年初版)を見つけて一気読みでした。「八甲田山死の彷徨」、「孤高の人」等の山岳小説、大河ドラマ「武田信玄」等歴史物で知 られた著者ですが、晩年には海洋小説もあったのです。往年の宝物、金銀さんごの珊瑚漁師の一代記。周防大島から始まって五島列島とその南に位置する男女群島が舞台。明治末 期の珊瑚景気の中、珊瑚漁船団を襲った空前の海難事故を軸に、珊瑚漁に生きる3人の若者と薄幸の佳人をめぐる友情と葛藤、過酷な珊瑚漁と業界の変遷など史実をベースに書き 下ろした作品です。巻末の取材記は執筆前に回った島々の様子や歴史、珊瑚漁関係者の証言などが記され、観光案内や風土記としても楽しめました。

 実は新田次郎は筆者の先輩です。と言っても母校電通大の前身、戦前目黒にあった無線電信講習所の卒業生ですが、大学は創設を新制大学となった1949年でなくこの講習所開校 時の1918年とし、2018年に開学100周年を祝いました。卒業生の同窓会を目黒会と呼び、会の卒業生名簿に新田次郎は、本名藤原寛人(ひろと)の名で昭和7年4月本科卒と記載 されています。中央気象台や富士山測候所勤務の傍ら執筆した異色の卒業生と言うか、異色の小説家と言えるでしょう。ちなみに筆者は昭和40年卒。これからもお宝探しに図書館 に寄ってみるつもりです。

3月号 「ひな祭り」

 『ひな祭り』が各地で開催されている。コロナ禍もようやく下火に向かい、マスク生活も先が見えて4年ぶりにいろいろなイベントが再開され始めた。桃の節句「ひな祭り」も その一つ。例によってわが国の年中行事は中国由来のものが多く、「端午の節句」同様、古代中国の春祭りが遣唐使によって日本にもたらされ、当時は桃の開花時期に当たってい て桃の節句と呼ばれて広まったもの。子供の無病息災を願い、紙人形を川に流したことが始まりのようだが、時代と共に人形の素材も多岐にわたり、女の子の祝いとなって段飾り や吊るし雛も現れて今に続いている。流し雛は京都の下賀茂神社・町中の民家や旅館、酒蔵などが自慢の段飾りなどを見せ合う茨城県真壁町・吊るし雛の伊豆稲取などが知られて いる。

 神社仏閣の参道階段にびっしりひな人形を並べた階段飾りも近頃盛んになっているようだ。つい最近、千葉県勝浦市遠見岬(とおみさき)神社の60段1800体の階段飾りが新聞に紹 介された。子供の日になると見かける川を横断するロープに結ばれた数十体のこいのぼりがすっかり定着したが、階段飾りはこのひな人形版と言ったところか。どちらも豪華であ り個人宅ではなしえない飾り付けで町の名物化を目論んでいるようだが、一方では不用品を集めただけの数で勝負とは品が無いとの見方もある。とは言っても焼却したり廃棄した りするより、SDGsの精神からは人形や鯉に毎年活躍の場を与えることは意義があると思える。

 もう何年も前に河津桜と稲取の吊るし雛を見るバスツアーに家人と参加したのを思い出し、日記帳をくくると2005年(平成7年)2月23日(水)晴れ;クラブツーリズムバスツアー とあった。これがなんと一人2,980円とあり、昭島駅発着、昼食付で他に小田原の鈴廣かまぼこ・熱海梅園・沼津ひものセンターにも寄って一日目一杯の観光。ガイドの説明では今 日はバス10台480名の参加、明日は1000名の参加で会社はてんてこ舞いだったと記されていた。現在同様のツアーは8,000~10,000円と隔世の感だ。

 筆者宅では長女の初節句時の立ち雛、とも白髪の翁人形がまだどこかにあるはずだがここ10年以上出した記憶がない。もうほどなく1歳4カ月になる初孫の椛が里帰りする予定で、 この立ち雛と翁人形が無事であれば遅ればせながら飾ろうかと思っている。

2月号 「賀状アルバム」

 断捨離と言いましょうか、古い年賀状を整理して『賀状アルバム』を作りました。筆者には戦時下と疎開中の記憶はありませんが、戦後は江東区に25歳(1967年)まで住み、以後、転勤・結婚で青梅・羽村に転居、あきる野市に家を持って30年程暮らした後、2013年に現在の日の出町に落ち着きました。江東区を出て6回の転居で、一応ここが終の棲家の つもりです。引越しのたびに古い物が減っていきますが、手紙類、子供や親のもの、写真など、ほとんど見も使いもしないのに多く残ります。

 受け取った年賀状もその一つ。古いもので1980年代から残っていました。この中に自分の賀状も相当数あり、探し出すと宛名の書き損じや使わずに残ったものが1986年寅の年か ら今年も含めて32年分が出てきました。筆者は毎年マッチの軸を貼りつけて描いた干支の版画を自作して賀状にしますが、版下は版画第一号の1966年午年以降、ほとんどが保存さ れていました。この版下から、見つからなかった賀状の版画部分を復刻して、都合45年分になったはがきを集めてアルバムが出来た次第。初期の数年分と喪中などで抜けた年があ るものの図案やあいさつ文の変遷が分かって思い出のアルバムとなりました。

 他はここ数年分を残して処分かとも思いましたが、それぞれ書き手の思いが詰まった賀状。特に毎年、独自スタイルの版画や絵などで楽しませてもらった優れものも残したいと思い、 こちらも「お気に入り賀状集」としてアルバムにまとめました。5人分1987年から現在まで64通。元会社同僚のデフォルメ干支版画、美大教授の細密風景画、オランダ赴任 時の水彩画、家人友人の浮世絵・正月縁起もの版画も収納。どれも力作で創造力とうまさが光ります。

 賀状相手には250通も出す強者や、返事を書くだけと悩みの無い者がいる一方、先輩からは賀状卒業の打ち止め通知が来たり、家族からの寒中見舞いで本人の他界を知らされて 終わるもの、いつの間にか不通になったりで、ここ10年ほどは相手が減る一方です。昔は120人前後でしたが今は90人に届きません。できたアルバムにはまだ干支一周分のページが残っていて、こちらはまだ賀状出しをやめるわけにはいかないようです…。
 *註:2014年12月号「年賀状」を参照ください。

1月号 「薬師寺」

 奈良西ノ京、薬師三尊で知られる『薬師寺』の東塔が12年間に及ぶ解体修理を終えて、
生まれ変わった雄姿を現しました。昨年11月、3年ぶりに奈良国際GCで行われた母校の東 西対抗コンペの折りに見てきました。このお寺、680年天武天皇の建立によるもので当時の藤原京にありましたが平城京遷都により飛鳥から現在地に移転したもの。730年(天平2 年)頃と思われます。1998年(平成10年)に一帯の文化財とともに世界文化遺産に登録されました。東塔は伽藍の主要建造物中、唯一現存しているもので国宝指定。現在の金堂・ 西塔・回廊などは、60年代当時修学旅行生などにユーモアと巧みな説明で評判の名物和尚、高田好胤管長(1924~1998年)による再建です。
 財源は管長発案の来観者一人1000円の寄進で、写経を経堂に収めると言うもの。この浄財で1976年金堂落成、写経勧進はさらに続き、西塔・中門・回廊の再建も果たしました。 今では納められた写経は700万巻を超えると言います。和尚さんは話し上手だけでなくアイディアマンでもあったわけです。

 ところで、私の姉は14年前に他界しましたが、どういう訳か若いころから高田管長とは
知己があり、薬師寺で結婚式をあげたらどうかと言われたとのこと。親戚は東北、友人は 東京・千葉で地の利から言って相当無理。挙式は東京の八芳園でしたが、その後も交流があったらしく、管長からこんな話を聞いたと言います。
 日本びいきのシャンソン歌手、「詩人の魂」、「パリの空の下」などで有名なジュリエット・グレコ(1927~2020年)が来日講演の合間に薬師寺を訪れた際(80年代か)、年齢の話に なって、「私はあなたの歳のころが一番楽しかった」と管長が言うと彼女は我が意を得たりとばかり相好を崩し、大喜びだったとのことです。

 管長はいくつになっても、今が一番いいと思える生き方が最良だと言うことを知っていたのでしょう。彼女には往年の若さや歌唱力に不安があったのかも知れませんが、この言 葉で吹っ切ました。筆者のペンネーム「今が好き♪」はこの話がもとになっています。音符は無視するかルンルンと読んでもかまいません。彼女のあの時の気持ちです。
 
 *註:2014年6月号「古代都市奈良」を参照ください。

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